日本においても個人がより稼ぎやすい社会の実現を:神谷アントニオさん

小学生の頃PCゲームを作ったのがエンジニアとしての原体験

エンジニアになったきっかけは、小学生の頃に父が買ってきたPCでした。そのPCではゲームができず、ゲームをやりたかったので縦スクロールのゲームを自分で作りました。中学3年を中退後に渡米し、高校時代に自分が書いたソフトをサンフランシスコの会社に売却しました。そういう実体験から、自分で何か事業を起こしたいと思うようになり、大学2年次にはECの会社を起業し、大学4年次にはソフトウェアのコンサルティング会社を起業しました。後者は今も続いています。

私が起業したのはちょうど一番最初のネットバブルの直前の時期で、インターネットという響きに大きな可能性を感じていました。ただプログラミングをするのではなく、文化や言語を意識したエンジニアリングに大きな需要があるだろうと思いました。ただ、プログラマーとして一社に勤め上げるのではなく、プログラマーとしての技術を活かしていろいろな仕事に携わりたいと思いました。

フリーランスとしての経験などから日米の企業対個人の取引文化の差異に疑問

フリーランスになるというよりかは、まずは起業したのですが、コンサルティング会社は個人事業主のような形だったため、事実上フリーランスのようなものでした。学生時代に事業を売却できた経験が、自分で事業を起こすきっかけになっています。

コンサルティング会社であるKamiya Consultingを通して、様々な会社の技術担当社外取締役や技術顧問をさせていただいていきました。株式会社paperboy&coの社外取締役やGMOインターネット株式会社の顧問などを歴任してきました。 一方で、富士山マガジンサービスという会社を仲間と立ち上げてCTOを今もやっています。

普段は富士山マガジンサービスを中心に自分が携わっている会社の打ち合わせに出たり、携わっている会社以外の方々とも積極的にお会いしたり、実際にコードを書いたりしています。それに加えて、最新の技術トレンドにキャッチアップするための勉強は欠かせません。

1年ほど前に仕事を通して、日本では企業が個人に仕事を依頼する文化がまだまだ未成熟であることを感じました。企業同士の取引ではなく、企業対個人の取引では信頼性が下がるということを実感する出来事がありました。20年以上に渡る米国生活経験の中では、企業が個人に仕事を依頼することがマイナスになる文化はありませんでした。

そういった日米両方の経験や私自身がフリーランスとして生計を立ててきた経験から、日本において企業に属さない個人が稼ごうとすることが不利にならない社会を創りたいと思うようになりました。副業が禁止されている会社が少なくないのも、おかしなことだと思っています。

既存の枠組みに捉われない組織形態や個人が稼ぎやすい社会を創りたい

個人が稼げるような新しい組織形態やそのような社会の創造に興味があります。今は個人が稼げる社会を実現する手段の一つとして、Livertyという組織の一員としても活動しています。フリーランスという形態で働いていると、時に不安を感じることもあるかと思います。Livertyという組織形態があり、その中でプロジェクトに携わる機会を多く提供することで、フリーランサーのセーフティーネットのような役割を果たすことができればと思っています。

フリーランサーだけでなく、 たとえば出産後の主婦の方々が、会社に戻る以外の稼げる選択肢があると良いのではないかと思います。米国ではベビーシッターや庭の手入れなどを、気軽に個人間取引で仕事をお願いできるようなサービスや文化もあります。日本では個人間取引の敷居は米国よりは高く、こういうちょっとした仕事でも法人が仲介しての個人間取引となってしまい、スピードが落ちたり、個人間の直接取引よりもマージンが多く取られることが少なくないです。

会社やフリーランスという従来の枠組みに捉われない、新しい組織形態での働き方や、個人間取引の文化を創造していくことで、より多様な稼ぎ方や働き方が認められる社会を創っていけるような仕事を今後は手がけていきたいと思っています。