漫画家・アシスタントとして活躍中の味野くにお先生に、冨樫義博先生とのエピソードや漫画家アシスタントの実情をお伺いしました。
あまり知ることができないアシスタントのリアル。漫画を描いて生活するためのポイントや実際の働き方、漫画家アシスタントを志望する方へ向けたメッセージもいただいています!
漫画家のアシスタントになるまで
――漫画家を目指したきっかけを教えてください
絵を描くのが小さいころから好きで、「漫画家になりたい」と思ったのは高校生のころです。
漫画を初めて描いたのは、小学校の時。友達が漫画を描いていて「自分も描きたい」と思いました。そのころは、ノートに鉛筆で漫画を描いていましたね。
そして、高校生の時に初めて漫画を投稿しました。
―どんな雑誌に投稿したのですか?
投稿した作品は少年漫画で、ファンタジーというか冒険ものでした。
絵柄は、ドラゴンボールとかそういうイメージに近かったですかね。
投稿先は、フレッシュジャンプかキャプテンか迷ったのですが、フレッシュジャンプは「投稿した全員に講評がある」とあったので、フレッシュジャンプに投稿をしました。
で、その作品が高校2~3年生の時、最終候補に残り、誌面に名前が掲載されて。奨励金として24,000円をいただいて、「これはいいな!」と。
また描いて送ったら、雑でダメだったんですけど。(笑)
その次も描いて送って、また奨励金をいただいてということを繰り返していました。
最初に描いた作品は、文房具屋で購入した上質紙にGペンを使用して描いていました。ただ、今思うとやけに薄かったので、「コピー用紙」だったんじゃないかと思うのですが、それに描いていました(笑)
紙が薄いので、スクリーントーンを貼る際にカッターを使うと紙まで切れてしまうことが多くて辛かった思い出があります。
――投稿からすぐに漫画家のアシスタントになったのですか?
いえ、高校を卒業して、東京へ上京して通信関係のエンジニアになりました。僕の実家は鹿児島なのですが、「東京に行けば、どうにか漫画家になれるのではないか」と思って、東京の会社に就職しました。当時は18歳で、働きながら漫画を描いていました。
兼業時代は残業もあったので、漫画を描く時間をきちんと確保するのが難しかったです。それに、寮の部屋が3畳ですでにベッドがあり、机が置けなくて。ロフトベッドを購入して机を入れたのですが、そのベッドのせいで腰を悪くしましたね。(笑)
就職して2年半は働きながら、仕事が終わった後夜に漫画を描いていました。睡眠不足ではありましたが、とても充実していました。
――通信関係のエンジニアのお仕事を辞めたのはいつ頃ですか?
19歳の年末に描いた作品を週刊少年ジャンプに投稿したところ、賞の最終候補に残り、担当さんが付きました。
それで、その担当さんに「マンガ家になるために会社を辞めたい」と相談したところ、「まだ辞めない方がいい」と言われたんです。
でも、漫画を描きたい思いを抑えきれず、20歳の夏に会社を辞めました。
――ずいぶん思い切った選択でしたね!
貯金も50万くらいあったので。
すぐにデビューは無理でも、アシスタントとしてでも、とにかく漫画に関わりたかったんです。
そうしたら、担当さんがアシスタント先を紹介してくれました。
冨樫義博先生の『幽☆遊☆白書』でアシスタントデビュー
――『先生白書』に描かれていた冨樫先生のアシスタントですか?
ええ。
21歳の11月に冨樫先生の元でアシスタントを始めました。会社を辞めてから1作描いたのですが、それを見本として先生に見ていただいて「連載が始まる」ということで冨樫先生の元でアシスタントになりました。
『幽☆遊☆白書』の初回からお手伝いがスタートしました。
冨樫先生とボクともう1人のアシスタントの3人(のちに1人増えて4人)体制でした。
――冨樫先生のアシスタント時代の生活サイクルや仕事内容を教えてください
週刊連載だったので、毎週決まっていて、2泊3日か3泊4日でした。
2色と呼ばれる色付きの原稿はお手伝いさせていただいたこともあります。
冨樫先生の元では、アシスタントは全員が、背景から仕上げまでをひとりで担当することができるメンバーでした。
そのため、特に作業の分担はなく、アシスタント全員で背景→集中線などの様々な効果→スクリーントーンの順番で仕上げていきました。
また、キャラクターの背景にいる「モブ」と呼ばれる、人がたくさん集まっているカットは、割と好きに描かせていただいていましたね。(笑)
『幽☆遊☆白書』の連載終了後、『レベルE』でまたアシスタントをさせていただき、結果的に1990年から1996年まで、約6年間冨樫先生とご一緒させていただきました。仕事の雰囲気など、当時の詳しい様子は『先生白書』で描いていますのでもしよければ、ご覧ください。
――冨樫先生のアシスタント時代には、ご自身の執筆はなさらなかったのですか?
執筆していましたよ。『幽☆遊☆白書』の連載時に、1本だけ佳作を取りました。だけど、当時出した賞は、賞を取ってもその中で1位じゃないと雑誌掲載には至らなかったんです。
冨樫先生に、漫画を描く前の下書きである「ネーム」を見ていただいたりもしましたよ。原稿に対して真剣にフィードバックをいただけて、嬉しかったですし、参考になりました。
アシスタントとして複数の先生の作品に携わり、『先生白書』を執筆
――冨樫先生のアシスタント後は他の先生のお手伝いをなさっていたのですか?
冨樫先生の所を離れたのが、1996年で26歳か27歳だったのですが、実は『幽☆遊☆白書』と『レベルE』の間に、少年誌系の先生の元で3ヶ月位お世話になりました。そして『レベルE』の連載が始まって、また冨樫先生にお世話になり、連載終了後は、やはりまた少年誌系の先生の元で10年お世話になりました。
――その後、ずっとアシスタントで生活をしていたのでしょうか
やっぱり自分の漫画が描きたいと思って、37歳くらいから持ち込みを再開しました。
ある少年誌の創刊の時に、手ごたえが良かったことがあって。「読み切りより連載を目指しましょう!」って担当さんに言われて頑張ったのですが、「今回はご縁がなかった」という話になってしまったんです。
漫画を描いて食べていきたかったので、アシスタントの紹介をお願いしたら、「プロアシ(プロアシスタントの略)はお断りします」と言われてしまって。(笑)
当時は挫折感が大きく、漫画から離れようと思ったんです。
――漫画から離れた時期があったんですね!
派遣でピッキングをしたり、入浴剤を作ったり…3ヶ月位別の仕事をしていました。けれども、1日働いて8000円位の報酬で。
それに改めて考えてみて、やはり「漫画を描くことが好きだなって」気づいて、インターネットで調べて、アシスタントに応募しました。
――インターネットでアシスタント先を探すことができるんですか?
はい。
僕はジャパンアシスタントクラブ(JAC)という掲示板で探しました。
青年誌で執筆をなさっている先生のお宅が、ちょうど僕の家から自転車で行ける距離にあって。
先生がちょうどデジタルを始めたころで、「一緒に覚えていきましょう」とおっしゃっていただきました。
最初は原稿をスキャンして取り込んでいましたが、最終的にはタブレットで描くようになりましたね。
デジタルに移行したのは、青年誌で活躍されていた先生の元でお世話になった2008年の4月からなので、10年位になるでしょうか。
デジタルは楽しいですよね。消しゴムをかける労力もいらないですし。(笑)
――現在は複数の先生のアシスタントを勤めているそうですが、アシスタントの仕事をする上でのご苦労はありますか?
自分の実力以上の所だときついですね(笑)
僕の絵柄はどちらかというと軽いタッチなので、リアル寄りだと大変です。画像加工も多いですしね。
それと、影の位置を自分で考えてベタ(黒塗り)を入れるのが難しかったことがあります。指示が無い場合には、過去に描かれた作品を見て慣れるしかないです。
あと、デジタルだと在宅で仕事ができるので、並行で複数の先生の作品をお手伝いすることができます。しかし、先生の都合でスケジュールがずれると、締め切りが重なってきつくなります。
――アシスタントとは別に、自身の著作である『先生白書』の執筆について聞かせてください
ニコニコ静画で育児漫画を投稿していたら、担当さんからお声がけがありました。
当初は「アシスタントの漫画」という企画を進めていたのですがボツになり、『先生白書』を描くことになりました。
企画が通ったのは2016年12月頃でしたね。
冨樫先生に触れるということで、試し刷りの段階で先生には編集部を通してご確認いただき、手を加えてあります。
でも、思ったより修正は少なかったのでホッとしています。
アシスタントの働き方とは
――現在は、どのような働き方をされているのですか?
少し前まで、1人の先生が2作品やっている時があって、月の前半と後半で2作を仕上げて、その間にもう1人の先生の原稿のお手伝いをしていました。
それぞれ、お仕事は1週間から10日の期間で、1日の作業時間は10時間くらいでしょうか。
特に休みは決めていないので、仕事が無い時が休日という感じです。
また、今3歳になる娘がいるので、娘を寝かしつけた後の夜から朝にかけて原稿に向かうことが多いです。ただ、4月から娘が幼稚園に通うので、そこからもう少し仕事の時間を増やそうと思っています。
――今はどんな場所でお仕事をしているのですか
在宅での仕事がメインで、先生との打ち合わせはSkypeで行うことが多いです。
今継続でお手伝いをしている先生は、最初は通いでしたが、途中から在宅に切り替わりました。
過去には、Skypeやメールのやりとりのみで、対面をしたことがない先生もいらっしゃいました。
在宅での仕事でも、先生からは「あまり指示しないで良いから助かる」と言われることが多いです。つかむのが得意なのかもしれませんね。
また、先生によってやり方が異なるので、仕事中はSkypeで繋ぎっぱなしということもありました。
聞きたいことがある時はなんでもすぐに聞くことができました。先生の手元を映してもらって指示をもらったりできるのはとてもやりやすかった記憶があります。
――ちなみに、在宅ではなく、先生の元に通う仕事場ならではのエピソードはありますか?
僕は、「楽しければいいな」と思って仕事に臨んでいるのですが、やっぱりアシスタント同士もライバルだったりするので、表面的には楽しいけれども…ということはありましたが。(笑)
それと、「女の子が入ると雰囲気が変わる」というのは聞きましたね。(笑)
少年誌でアシスタントをする人は、少年誌での連載を目指す人が多く、必然的に男性がメインなんで…。
そういった通いの場合は人間関係にまつわるエピソードが多いのではないかと思います。
アシスタントに求められる技術やお給料について
――アシスタントに求められる技術力について教えてください
以前はアシスタントって、自分で漫画を描いていることが前提だったと思うんです。
けれども、デジタル化があってから、PCでやっているのを見てトーンなどの仕上げ作業だけでもやってみたいって人もいると聞いたことがあります。
「ソフトは使えるけど、仕上げ専門で漫画を描いたことはない」という人もいるとか。トーンを貼ったりするだけなら、ソフトが使えるかどうかで、絵の上手い下手は関係ないですからね。
ただ、現実は実際に絵を描くことができないとアシスタントになるのは難しいと思います。
――アシスタントのお給料について聞かせてください
先生ごとで違うと思いますが、僕は在宅デジタルで、日給でいただくことが多いです。冨樫先生など週刊誌のアシスタントをやっていた頃は月給でした。
デジタルの場合、1枚○円という、歩合制というのも聞きますね。
少年誌のお手伝いをしていた時には、継続ではなく臨時のお手伝いだと1日15,000円前後になることが多かったです。
単行本が出るとボーナスで還元してくださる先生もいらっしゃいましたが、これも先生によりますね。
月刊誌だと、週刊ほど仕事量が多くないので、それ1本で生活するには厳しい方が多いと思います。
週刊の場合には、アシスタントのみでも生活をしている方がいらっしゃいます。
――アナログとデジタルで掛かる経費の違いはありますか?
漫画の連載を考えると経費は安くなる可能性がありますよね。
また、デジタルの場合、初期投資としてPCやタブレットなどが必要になりますが、交通費もご飯代も不要で、仕事場のスペースもアナログに比べたら狭くて済みます。
漫画を描く・連載するのというのは、デジタルのお陰で工数もコストもずいぶん減りましたね。
もちろん、3Dモデリングを使用している場合など、例外的なケースもありますが。
今はアナログとデジタルの絵の違いって、言わなきゃ分からないです。アナログで描いたような太い線も描けますし、枠線をわざと歪めたりすると本当に見分けがつかないです。
漫画家のアシスタントになるために
――漫画家のアシスタントで求められるものを教えてください
インターネットで募集されているアシスタントは、即戦力が求められます。
昔とは違って「イチから教えてください」というのは難しいですね。
募集要項に書いてあることが多いですが、自分の実力とマッチングするところを探すのも大切です。
そういう意味では、漫画家のアシスタントというのも「手に職」と言えるのではないでしょうか。
――アシスタントで生きていくために心がけていることはありますか?
先生の連載が終了すると仕事が無くなるので常に不安はありますね…。
リスクマネジントとしては、「複数の先生とお付き合いする」ということが重要だと思います。
以前お世話になった先生から電話がかかってきたりすることがあるので、ありがたいです。
特にプロのアシスタントは1人の先生に付いたら、先生がそのまま離さないケースが多いので、市場にはあまり出てこないかもですね(笑)
――最後に「漫画を描いて生活したい」と考えている方にアドバイスをお願いします
昔は「漫画を描いて生活する=商業誌で連載すること」でしたが、今ではインターネットの発達でグンと選択肢が広がりました。
まず「漫画を描きたいだけ」なら、アシスタントでも良いと思うんです。
商業誌での連載にこだわりが無い場合には、同人誌で活動を行うという選択肢もありますよね。
そういう意味で、商業誌デビューのメリットが薄くなってきているかもしれないですね。
また、アシスタントはデジタル化に伴い、敷居が下がっていると思いますし、常に人手不足な職業でもあるので(笑)、ぜひチャレンジして下さい。
一方、自分への自戒の意味も込めて、「商業誌で連載を持つ漫画家になりたい」なら、自分でどんどん描いていき、まずは1本の作品を完成させましょう。
そして、持ちこみでもSNSでも、とにかく他者に見てもらいましょう。
すると、リアルでも、ネットでも様々な意見が聞こえてくると思います。もちろん良い意見だけでなく、悪い意見もあります。しかし、そういった講評は糧にして、消極的にならず、堂々と自信を持って、自分の作品を世に送り出してください。
一つひとつの質問に、丁寧に答えてくださった味野先生。あまり紹介されることのない「アシスタント」のリアルをお聞かせくださいました。「漫画を描いて生活をしたい」と考えている方は、ぜひ参考になさってくださいね。
また、冨樫義博先生のお仕事現場を描いた『先生白書』も絶賛発売中。興味がある方はぜひお手に取ってみてください。「マトグロッソ」と「ニコニコマトグロッソ」で同時連載もされていますよ!
取材・文:あおみ ゆうの
味野 くにお
48歳、鹿児島県出身。冨樫義博先生を始めとして、様々な先生の元で漫画家アシスタントを歴任。最近の著作として『先生白書』がある。
Twitter:https://twitter.com/ajino920