パソコンが盗まれた…!
ある会社員は、副業でフリーデザイナーとして活動しているが、デザイン業務を行うための作業場を持っていないため、デザイン業務を行う際には、自宅近くのカフェで作業していた。
その日も愛用のパソコンを携えて、いつものカフェで作業をしていたが、トイレに立ち、少し席をはずした隙に、誰かにパソコンを盗まれてしまった。
そのパソコンの中には、今まで業務を請け負ってきたクライアントのデザインやまだ世の中に出ていないクライアント発案のデザイン案などが多数保存されていた。
この会社員は、クライアントの機密情報を外部に漏らしたとして、クライアントに対して損害賠償責任を負うのか。
賠償責任の考え方
たとえば、人を殴って怪我をさせてしまった場合(不法行為責任)、殴った人は怪我をした人に対して、治療費等の損害を賠償しなければなりません。
また、ある契約を守らなかったために契約の相手方に損害が生じてしまった場合(契約不履行)にも、契約を守らなかった人は契約の相手方にその損害を賠償しなければなりません。
このように、自分の責任で他者に損害が生じてしまった場合には、責任がある人はその損害を賠償しなければならないというのが法律の基本的な考えです。
不法行為責任
人を殴って怪我をさせてしまった場合のように、他人の行為によって損害が生じたときに生じる責任を不法行為責任と言います。
不法行為責任が生じるには、加害者と被害者との間に契約関係は必要なく、「被害者が加害者の責任のある行為によって損害を受けた」という関係があればいいのです。
今回の件でいうと、クライアントは「フリーデザイナーが不注意にもパソコンから目を離したことによって、自分の機密情報が外部に漏らされるという損害を被った」と考える余地がありますので、フリーデザイナーは不法行為に基づく損害賠償責任を負う可能性が考えられます。
契約不履行
契約関係がある場合に、一方が契約を守らなかったことによって他方に損害が生じた場合には「契約を守らなかった(契約不履行)こと」を理由に損害賠償責任が生じることになります。
今回の件でも、フリーデザイナーとクライアントとの間で機密情報を漏らさないための条項、具体的には「機密性の高い作業であるため、公共の場では作業してはいけない」などという条項が定められていた場合には、フリーデザイナーが契約を守らなかったことにより、損害が発生したとして損害賠償責任が生じる可能性があります。
不法行為責任による損害賠償
不法行為責任が生じる条件
不法行為責任の考え方は、上述したとおりですが、法律ではしっかりとどのような条件があれば不法行為責任が生じるのか規定があります。
その条件とは、
- (加害者による)権利侵害があること
- その権利侵害が、加害者の故意又は過失のもと行われたこと
- 損害が発生したこと
- 権利侵害と損害との間に因果関係があること
というものです。
細かい話になってしまいましたが、大事な点としては「加害者の責任ある行為(故意・過失)によって、被害者に損害が生じたと言えない限り、損害賠償責任は生じない」ということです。
今回のケースにおける不法行為責任
今回、パソコンを盗まれてしまった原因は「フリーデザイナーがパソコンを置きっぱなしにしたまま、席を立ってしまったこと」にあります。当然ながらわざとパソコンを盗まれたわけありませんので故意はありません。
では、みなさんは、この行動に過失があったと思いますか?
「大事なクライアントの情報が入っているのだから席を離れるときは持ち歩く責任があったのにそれをしなかった」ということで過失があったと考えますか?
それとも「多少の落ち度があったにせよ、本来悪いのはパソコンを盗む人であって、盗まれる側に責任は無い」と思いますか?
読者の皆さんとしても、かなり意見が割れるかと思います。
法律上の問題と言えども、過失の有無は社会常識に照らして判断される以上、結論としてはどちらの判断もありえるというレベルかと思います。
事業者として「クライアントの情報をケアする責任」に重点を置けば過失が認められると思いますし、反対に「デザイナーもあくまで窃盗の被害者である」という点に重点を置けば過失は無いという結論も有り得ると思います。
※過失の有無とは別の問題として、クライアントに実際どのような損害が生じたのかという問題もあります。日本の法律は、賠償は金銭によって行うことを原則としますので、損害をお金に換算できなければなりません。この点、単なるデザイン案にどのくらいの経済的価値があるのかはとても難しい問題です。
契約不履行による損害賠償
契約不履行が生じる条件
「契約を守らなかった結果、契約の相手方に損害が生じた」という場合、基本的には契約を守らなかったことに過失や故意は必要とされません。
つまり、契約を守らず、その結果、相手に損害が生じたという関係さえあれば、契約を守らなかった人に対して損害賠償請求を行うことができるのです。
機密情報に関する契約条項
よくある機密情報保持を定める条項は次のようなものです。
第●条 甲および乙は、本契約に関連して知りえた相手方の技術上・経営上の一切の秘密を相手方の書面による承諾がない限り、第三者に漏洩または開示してはならない。
基本的に、このような条項は「契約の相手方が、自らの利益や契約の相手方に損害を与える目的で、機密情報を「わざと」漏洩したり、開示することを防止しようとする目的」で定められるものと考えられます。
一般的な考えとしては、第三者(窃盗犯)の悪意ある行動で図らずも機密情報が外部に漏れてしまった場合には、このような機密情報保持条項の違反とはいえないのではないでしょうか。
※ただ、契約条項の解釈は、契約の当事者間にある様々な事情に影響されるものですので、上記条項が定められている場合には、情報の取扱いに注意が必要であることは間違いありません。
つまり、今回のフリーデザイナーとクライアントとの契約にこのような一般的な機密情報保持条項しか定められていなかった場合には、機密情報保持条項の違反による契約不履行に基づく損害賠償は認められない可能性が高いと思います。
では、フリーデザイナーとクライアントとの契約において、作業場所が明確に定められていたような場合、たとえば「クライアントの提供する事務所でクライアントの提供する端末で作業すること」が条項で定められていた場合はどうでしょう。
この場合、フリーデザイナーは、作業場所等を定める条項に明らかに違反しており、その結果、パソコンを盗まれてしまっています。
したがって、この場合には、フリーデザイナーに損害賠償責任が生じるといえるでしょう。
まとめ
副業であるといっても、事業としてのリスクは常にあります。
- 事業者として当然注意すべきことにしっかりと注意する(過失ある行動をしない)
- 発注者との契約はしっかりと守る(契約違反をしない)
以上の2点を確実に守り、確実なリスク管理をしましょう。
【執筆者】
楠瀬 健太(くすのせ けんた)
中央大学法学部を卒業後、一橋大学法科大学院を経て、弁護士に。神奈川県下最大規模の弁護士数を誇る横浜綜合法律事務所に所属。労働問題を始めとする民事全般 から刑事事件まで幅広く取り扱っております。難しく思える法律をできる限り分かりやすくお伝えいたします。
▶所属している法律事務所:
横浜綜合法律事務所