育児ブログを始めてよかったこと・気づいたこと

今回は「育児」に関するテーマ。

 

三十路男の悪あがきブログに書くように、思ったことを、思った通りに書かせていただきました。

 

育児ブログを始めてよかったこと

育児ブログ_良かったこと

育児ブログを始めてよかったことの多くは、ブログを始めた頃には想像もしなかったことばかり。どれも「結果的によかったと思える」ことだけど、始めていなければ間違いなく得られなかったものです。

 

子どもの成長を振り返ることができる

子どもとの『いま』がとにかく重要すぎて、子どもとの『過去』を残すことは本当に難しい。

 

寝返りを覚えたときの喜びは、掴まり立ちを覚えた喜びで上書き保存。新しいことができるようになるたび、いまの成長が嬉しすぎて、過去の成長は記憶から薄らいでいきます。

何でも口に入れていた頃の苦労、夜中に何度も泣いては起きてしていた頃の苦労、全て別名で保存されているけど、いまが大変過ぎて、過去の苦労は記憶から薄らいでいきます。

 

写真などを頼りに過去を思い返すことができたとしても、喉元過ぎれば何とやら。その当時、自分がどんなことを思い、どんなことを考えて子育てしていたのかは着色され、美化され、友人・知人に「子育てはそんなもの、大変だけど慣れれば大丈夫」なんて言ってしまいます。

 

子どもの写真と、自分の言葉(文字)で、本来なら忘れてしまっていたはずのリアルな『過去』を自分のために残せること、子育て中の人に届けられることは、紛れもなく育児ブログ最大の魅力です。

 

現場(子育て中のママ)の声が聞ける

親友が同じ年頃の子どもを育てるパパだったとしても、「オムツってどうやって代えてる?」とか、「子どものボディーソープって何を使ってる?」なんて話をすることは殆どありません。少なくとも、私の周りには、そんな会話をする男性は1人もいません。

 

だからと言って、頻繁に、同世代の女性と「子どもの~」という連絡を直接取りあうわけにもいかない。手当たり次第妻に聞くわけにもいかない。ネット上にある答えは必ずしも正しいとは限らない…。

 

そんな中でブログに届く「ウチはこうだったよ」や「ウチはこんなことをしたよ」というコメントは本当に有り難くて、嬉しくて、SNSを通じて情報交換をしてくれている子育て中のママ達には本当に感謝しています。それはもう、全員に迷惑なくらい野菜ラムネを送りつけてあげたいほどに。

 

子どもに使ってあげられるお金が増えた

当時を知る人は殆どいなくなってしまいましたが、元々はスマホゲームの攻略ブログを書いていました。そのジャンルでは稼げなくなってきたことを理由に、アクセスアップなどの情報サイトにシフトすることも考えましたが、安定的にお金を稼ぎ続けられる可能性は極めて低く…。

 

「ブログは辞めて、他の副業を探そう」と思い立ち、ブログから日記に格下げ。当時、生まれて間もなかったウチの子どもが、可愛すぎることを書きたいだけの日記を始めました。それが、三十路男の悪あがきブログです。

 

『育児疲れで晩ご飯が作れない』って妻が言うから実際に検証してみたという記事が謎の大反響を呼び、京都府の人口を上回る数の方が読んでくれたおかげで、育児ブログだと認めてくれる人は多くなりましたが、今でも基本的には「ウチの子ども達は可愛いんです」とアピールしたいだけ。副収入は大きすぎるオマケです。

 

オマケの金額は決して大きな額ではありませんが、家計に負担をかけることなく、子どもに大好きなおもちゃ(働くクルマのトミカばかり)を買ってあげる瞬間は、子育てブログを書いていて良かったなと感じます。

 

育児ブログを始めて気づいたこと

育児ブログ_気づいたこと

育児ブログを始めて気づいたことの多くは、どれも子どもに対する自分の行動、考え方を改めさせられたものばかり。気づくことができたから、今があると思っています。

 

子育ての正解はそれぞれ違う

子育てブログを続けるうちに気づいたこと。ひとつめは『子育ての正解はそれぞれ違う』ということ。そして『正解を決めるのは他の誰でもない親である』ということ。

 

上の子は1歳半になるまで、3時間以上続けて寝てくれることはありませんでした。下の子は生後3ヶ月で、既に7時間以上続けて寝てくれることがあります。例え血の繋がった兄弟であっても全然違う。みんなそれぞれ違った個性を持って生まれてきた、全く異なる特別な存在。

 

書き始めた頃は「誰かの答えになるようなことを書かなければいけない」と考えたこともありましたが、記事を書けば書くほど、子育て中の人と話せば話すほど、子どもと接すれば接するほど、子育てに正解はないのだと気づかされてきました。

 

もちろん「子育てに正解はないから」と無責任なことを書いているわけではなく、どこかの誰かの、ひとつの選択肢になればいいなと思いながら記事を書き、自分もまた他の誰かが書いてくれたひとつの選択肢を頼りに、子育てを続けています。

 

今日の子どもは、明日にはいない

子育てブログを続けるうちに気づいたこと。ふたつめは『今日の子どもは、明日にはいない』ということ。そして『それを理解してくれる人は少ない』ということ。

 

2歳を過ぎた頃から「いつ出来るようになったの?いつ話せるようになったの?」と驚かない日は1日もなくて、たった1日、たった1日で成長する度合が大きすぎて、今の大切さを強く意識するようになりました。

 

過去のブログ記事を読み返しても載っていない。過去の写真を見返しても映っていない。そんな、今日しか見られない子どもの姿を見たい一心で行動している私の姿を滑稽だと笑う人達、理解出来ないと蔑む人達に向けて「理解して欲しい」などと言う気はありません。

 

でも、世の中には例え少数であったとしても、家族を優先する自分の生き方を幸せだと感じる人がいて、それを邪魔する権利は誰にもないということだけは分かって欲しいなと思います。

 

あとがき

子どもと一緒に育つ

子どもの意思を察して行動するしかなかった頃と、子どもから意思が返ってくる今とでは、子育てに対する考え方は大きく異なっています。もしかすると、子育てブログに矛盾する意見を書いてしまっているかも知れません。

 

でも、それでいいと思っています。

 

結果的に過去の自分を否定することになっていたとしても、それは成長過程のひとつでしかなくて、子どものことを考えた末のものであれば何も問題はない。子どもが成長していくように、親も成長していけばいいんです。

 

上の子の年齢は、私のパパ歴といつも一緒。抜かれるときが来るとすれば、それは私が死んでしまったとき。いずれ、私にも必ず訪れるものだから、せめて、今は一緒に成長していきたいなと思います。

 

今この瞬間、そう思えただけで、子育てブログを書いていてよかったです。

 

【執筆者】
三十路男の悪あがき

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子育てブログ(三十路男の悪あがき)を始めてから、NHK出演やセミナー登壇など、人生が少しだけ変わった普通のサラリーマン。ここだけの話、既に三十路の定義からは外れてしまっている。

 

▶三十路男の悪あがきさんのブログ:三十路男の悪あがき

▶三十路男の悪あがきさんのTwitter:@30sman_blog