ワクワクした人生を歩みたい―。そう話すのは、プロボクサーの及川唯さん(川崎新田ボクシングジム所属)。
普段は建設会社で正社員として働きながら、日本チャンピオンになるという夢を目指して厳しいトレーニングを続けています。また、大学時代にアルバイトで始めた人力車の俥夫(しゃふ)も、及川さんにとっては大切な仕事なのだとか。
好奇心が赴くままにいろいろなことに挑戦、でもそれはすべてボクシングのため、と語る及川さん。熱い気持ちが伝わってきました。
就活をせず、プロボクサーの道へ
―プロボクサーということですが、お若いですよね。プロになったのはいつですか?
1月に25歳になったばかりです。プロテストには大学4年生のときに合格しました。
―プロになってからの戦績をお聞きしてもいいですか?
6勝3敗です。
―試合はどこですることが多いのですか?
後楽園ホールが多いんですが、去年、初めて故郷の北海道で試合ができたときは本当にうれしかったですね。地元で試合することが1つの夢だったので。
―いいですね。勝ちました?
もちろん! KO勝ちでした。次は3月3日、川崎市の「カルッツかわさき」での「ホープフルファイト」に出ます。
―ボクシングはいつ、どういうきっかけで始めたのですか?
小中高と器械体操をやってきて、高校のときはインターハイにも出場しました。でも引退したら暇になって(笑) 僕は男兄弟3人の末っ子なんですが、兄貴2人がボクシングをやっていたので、じゃあ自分も一緒にジムへ行ってみようか、と。
その後、東京の大学に進学することは決まっていたのですが、3月に東日本大震災が起きました。入学式が5月に延期されたので、1ヶ月、時間ができたんです。そのとき、4月にデビュー戦をやってみるか、と言われて。
ボクシングを始めてまだ3ヶ月ぐらいのころでした。でも優勝して、そこからハマっちゃった感じですね。
―すごいですね。では大学でもボクシングを?
はい。大学の部活と、今も所属しているジムの2つで続けていました。
―その後、プロボクサーの道に進もうと思われたのはどうしてですか?
大学4年間の目標は、北海道代表として国体と全日本大会に出ることでした。でも、どちらもあと1回勝てば代表になれる、という予選の決勝戦で負けてしまって。
全国大会に出る、という目標を達成できなかったことで、このままボクシングを辞めるわけにはいかない、という気持ちが逆に強くなりました。 周りはみんな就活をしている時期だったけれど、こういう仕事をしたい、というイメージが自分にはなくて。
それまで自分が何をやってきたのか、振り返ってみたら、やっぱりボクシングしかなかった。だから、ボクシングにかけてみよう、と思って、就活はせず大学4年の11月にプロテストを受けて合格。
次の2月にプロのデビュー戦、という感じでした。
―プロテストには、筆記と実技があると聞いたことがあります。
よくご存じですね。人気YouTuberのジョーブログさんがプロテストに合格したのを、知っていますか? AbemaTVの特別番組『亀田興毅に勝ったら1000万円』の続編で、わずか3ヶ月のトレーニングでジョーさんがプロテストに挑む、という企画だったんですが。こういう番組は、プロボクサーの末端の部分も分かってもらえて、いいなと思います。良かったら見てください(笑)
厳しいトレーニング、減量…9割は苦しい世界
―就活をせずプロボクサーになる、と決めたのはどうしてですか?
部活の先輩の日本タイトルマッチを見に行ったとき、すごい盛り上がりで僕も感動して。同じ舞台にいつか立ちたい、と思ったのがきっかけですね。
普通で考えたら、周りはみんな社会人になって立派に働いていくわけだから、就活しないってすごい不安じゃないですか。でも、僕は石橋を叩いて渡るような人生ではなく、いつもワクワクしていたい。
だから、ボクシングの夢はしっかり大事にしなければ、って強く思っていました。 やっぱり自分の人生の中で、何かを成し遂げたい。歴史に残るようなことをしたい、って想いは強くあります。それが自分の場合はボクシングだった、ということです。
―ボクシングって、とてもストイックに自分を追い込んでいくようなイメージがあるのですが…。
何がそう魅了するんでしょう。 普通に考えたら殴られて、痛いし(笑)トレーニングはきついし、減量もあるし、9割苦しい世界です。 でも試合の勝者になって、レフェリーに手を挙げられたときは「世界の中心は自分だ!」って感じるんです。
ホント、主人公になれるんで。
―勝利の瞬間のために、すべてをかけているような感じなんですね。
そうですね。プロテストに合格したら、C級ライセンスがもらえて、4回戦(4ラウンド制の試合)から出られるようになります。4回戦でも勝った瞬間の高揚感ってすごかったんですが、きっと上のレベルに行けば行くほど、そのリングの上から見える景色ってすごくなると思うんです。
今、自分はA級ライセンスなのですが、やっぱりいつかは日本一の景色を見たい。お客さん、友達、家族…。本当にたくさんの人から応援してもらっているし、日本一になった姿を見てもらいたい。
やっぱり「勝つこと」が一番の恩返しだと思っているので。
―減量って本当にきつそうですね…。
はい、一番きついです。それに、ちゃんと体重を落としきれるかどうか、計量が終わるまでホント怖いんですよ。体重を落とせないなんて、プロとしてあり得ないことだから。
―どれぐらい落とすものですか?
試合の1ヶ月前から、だいたい普段の体重より8キロ、9キロ落とします。
―それは大変ですね…。どうやって落とすんですか?
運動で落とすと言うより、食事制限が大きいですかね。減量を始めてだいたい最初の1週間で食事制限をして脂肪をバーッと落とします。最後の1週間は水分も抜いていくので、最後の最後は半身浴をして汗を出し切り、ガムを嚙んで唾を出し続けることも…。
まあでも前日に計量するので、体重をクリアしたら、その後は食べます。そこから試合までにどれだけ回復できるのか、というのもポイントなんですが。
―自分をコントロールする力が試される世界ですね。
はい。確かにきついことはたくさんありますが、でもこういうふうに打ち込むことって、別にボクシングの世界だけの話じゃないと思うんですよね。 僕のトレーナーも言っていました。ボクシングは小さな1つの社会みたいなもの、って。
たとえば自分より強い相手と試合が決まったけれど、どうしても勝たなければいけない。そういうときは、実力やテクニックは相手の方が上でも、どこかに勝てるポイントがないか、過去の試合映像とか見て必死に探します。
こういうのって、どんな社会でも一緒ですよね。難しいタスクを与えられて、でもやらなければいけない場面って誰にでもあるので。
僕が正社員になった理由
―ボクシングに打ち込む傍ら、ほかのお仕事もされているそうですね。
はい、建設会社に正社員として勤めていて、現場監督をしています。あとは大学生のころから続けている人力車の俥夫を、浅草で今も時々やっていますね。
―ボクシングだけで食べていくのは厳しいのでしょうか。
スポンサーや後援会がたくさん付くか、世界チャンピオンとかにならないと厳しいと思います。ファイトマネーもお小遣い程度なので…。だいたいみんな、ほかのバイトをしたり、トレーナーをやったりして、二刀流、三刀流になりますね。
―正社員になられたのは最近ですか?
ちょうど1年前です。
―どうして正社員に?
商社マンとして会社で働きながら、世界チャンピオンになった木村悠さんという方がいるんです。僕は木村さんが世界タイトルを取った瞬間を会場で見ていたんですが、その姿が強烈に頭に残っていて刺激を受けました。
ボクシングと仕事って、ぜんぜん違うジャンルだけれど、根底にあるものって実はつながっていたり、共通していたりすると思います。仕事がボクシングに生きてくることもあるのかな、と思ったら、アルバイトより正社員と言う立場で取り組まないともったいないかな、という気もして。
それで初めて就活しました(笑)
就職した会社には、面接の段階で「ボクシングをやっていて、辞める気はありません」と伝えました。そのうえで採用してくれたので、理解のある会社だと思っています。試合前は休ませてくれるなど、社長や上司がいろいろと考慮してくださっているので助かっています。
人力車の仲間は刺激的で面白い“夢追い人”
―一方の人力車ですが。お客さんを乗せて人力車を曳くお仕事ですよね?
はい。大学生のときに偶然、電車の中でバイト募集の広告を見かけて始めました。 人力車は一緒にやっている仲間が、本当に刺激的な人ばかりで面白いんです。
ボクサー、プロレスラー、芸人、俳優、歌手なんかを目指している“夢追い人”がたくさん。中には、人力車で世界一周・五大陸を回りながら、日本文化を伝えるという挑戦をしている仲間もいて。リキシャーズっていう3人組なんですが、東京オリンピックの開会式で先導車を務めるのが夢なんです。
―面白いですね。
目指していることはそれぞれでも、気持ちでは共通するところがあるんでしょうね。 仕事して、家庭を持って…みたいな一般的な生き方と正反対のことをしている人が多いんだけれど、みんな夢に向かって真剣なところがカッコよくて、熱い。
いろいろな生き方を認めてくれる、キャパシティの広さがあるので、自分としても気持ち的に救われています。だから僕も仲間が舞台に出るなら見に行くし、僕の試合のときも来てくれます。
―偶然始めたバイトとはいえ、大きな影響を受けたんですね。
はい。ほかにも、人力車の俥夫を育てる研修担当の方は、人間としての寛容力がとてもある方でした。プロとして筋を通した仕事をするよう教えられ、生きていく上でとても大事なことをたくさん学んだと思います。
―テレビ番組の「SASUKE」にも出られたことがあると聞いたのですが、本当ですか?
本当です。面白そうだと思ったことには顔を突っ込みたくなる性格なので…。 たまたまtwitterを見ていたら、「SASUKE」の参加者募集は明日まで、みたいなtweetが目に入ったんです。「マジか!」って慌てて応募したら、書類選考を通過して。
ネットで調べたら、書類選考を通るのが一番難しいらしい、ということだったので、これは行くしかない!と面接を受けたら選ばれました。
テレビに映ったのは2秒ぐらいでしたけれどね(笑) また気が向いたら出ようかな、とは思っています。
―そうだったんですね。本当にいろいろ挑戦されているんですね。
カッコよくて、面白い人生を歩んでいきたい、とは常に思っています。1年後の自分が見えたらつまらない。だから常に新しいことに挑戦し、面白いことを追求してみたいです。
ただ、いろいろやったけどボクシングの結果が出ない、では意味がない。やっぱりボクシングに役立てば、という想いでほかのことにも挑戦しているので。自分にとって大事なことは何か、軸をぶらさないことは意識しています。
チャンピオンになる、その夢がかなう日まで
―ボクシングで成し遂げたい目標はありますか?
今年の目標は国内ランキングで10位以内に入ることです。やはり選手生命のあるスポーツなので、僕の中ではだいたい2020年、東京オリンピックのころが1つの節目になるかなと思っていて。僕はプロなのでオリンピックに出られるわけじゃないんですが。
でも、オリンピックまでに日本チャンピオンになりたい、というのは強く思っているので、今はその夢にかけたいですね。
―現役を退いたあと、どうしようか、などは考えますか?
将来のことは正直、まだ分かりません。でも、1つのことを極めた人って、その後の人生に辛いことがあっても乗り越えていく力を持っているんじゃないかな、と思うんです。だから今はボクシングの夢を叶えるのが、自分にとって一番大切なこと。
その先のことを考えだすと現実を見ちゃうので、あえて考えないようにもしています。
―ボクシングに対する想いも強いですよね。
もちろんです。今って、村田諒太選手や井上尚弥選手のような世界で戦える日本人選手がいるので、ボクシング界にとっては結構すごい時代だと思うんです。一般の人の注目も集まっているので、もっと盛り上げていきたいと思っています。
それに、テレビで放映されるのは世界戦ぐらいで、一般の人はそれ以外の選手のことなんて、ほとんど知りません。でも、どの選手にもたくさんのドラマがある、ということは知ってもらいたいですね。
僕も北海道で試合して、地元の友達に見てもらったときはすごくうれしかったので、たくさんの人に会場へ足を運んでもらえるようなスポーツにしていきたいです。
―最後に、これから社会に出ていくような若い方に向けて、伝えたいメッセージがあれば教えてください。
僕の場合は「就活をしない」と決めた時点で、一般的な人生のレールから外れました。でも、そのときが一番充実感があって、自分の人生を生きているなって初めて思えた気がします。
そもそも「こういう時期だから、こうしなければいけない」なんてものは、ないと思うんですよね。だから本当に自分が好きなことを、好きなときにやったらいいのかな、って。
ただ、結構多くの人が「夢がない」とか「やりたいことが見つからない」って言うんですよね。そういう人って最初から無理だとあきらめすぎていて、夢だって言えないでいるだけかも。 厳しい言い方かもしれませんが、努力して、スキルを磨いていけば、いくらだってやりたいことって見つかると思います。
自分のステージが上がれば上がるほど、目標って生まれてくるものだし、視野も広がる。だから僕はこれからもいろいろなことに挑戦していきたいですし、同じように何か目標を持って取り組んでいる人を応援していきたいです。
取材・文:吉岡名保恵
及川 唯
1993年生まれ、北海道北広島市出身。川崎新田ボクシングジム所属のプロボクサー(スーパーフェザー級)。高校時代にボクシングを始め、大学4年生でプロに。これまでの戦績は9戦6勝(3KO)3敗。普段は建設会社の現場監督として働き、大学時代のアルバイト・人力車の俥夫も浅草の「東京力車」でときどき続けている。写真集『浅草 人力車男子』(辰巳出版)にも登場。
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