× このお仕事の募集は終了しています。

採用の理由

こちらのデザインがもっとも作品イメージに合うものでした。

応募者全員へのお礼・コメント

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願い致します。

はクライアントのお気に入りです。

 

電子書籍のカバーデザイン依頼 装丁・ブックデザインの仕事の依頼

4.7 本人確認未提出 発注ルールチェック未回答
クラウドワークスで発注するにあたり、 必要な知識・ルールを確認するためのチェックテストです。
もっと詳しく

仕事の概要

コンペ
32,400円
掲載日
2017年04月13日
応募期限
2017年04月25日
応募期限まで
募集終了
希望イメージ
単色 カラフル
シンプル 複雑
気軽 厳粛
リーズナブル 高級
伝統的 先進的
女性的 男性的
希望する色 赤系
納品ファイル
  • 高解像度JPG形式(.jpg)
  • フォトショップ形式(.psd)

応募状況

提案した人 10 人
気になる!リスト 26 人

仕事の詳細

目的・概要
歴史上あまり知られることのない、日系人の活躍について書かれた電子書籍の、カバーデザインをお願いしたいと思います。
当社専用のアプリ、kindle、また紙での出版を考えているため、同様のデザインで3つのサイズをお願いできたらありがたいです。
依頼詳細
【タイトル】予定
我は日本人なり 
〜海外へ渡っても祖国愛を持ち続けたニ人の日本人〜

【あらすじ】
書籍では海外で活躍した二人の日系人を紹介します。

一人目は、東京にオリンピックを呼んだ男フレッド・イサム・ワダこと、和田勇。
日系二世としてアメリカに生まれ、食堂を経営する一家で育つものの、アメリカでの暮らしぶりは振るず、口減らしのために、四歳〜九歳になるまで日本の祖父母の家で育つ。しかし祖父母の暮らしぶりも、余裕のあるものではなく、再びアメリカに呼び寄せられた勇を待っていたものは、実母の死と、父の再婚であった。

そこでの暮らし向きの良くない家庭において、牛乳配達の仕事をはじめ、十二歳で家を出ると農園で住み込みの雑役夫として働きながら通学した。その後は通学を断念し、農夫として仕事をこなした。するとその働きが認められ、一年足らずで店長に抜擢されることになる。その後独立して若干二十一歳にして一国一城の主となる。アメリカで日系人の地位が低く、「ジャップ」の呼び名が当然だったこの時代。義務教育もおぼつかない若者が、まさしく裸一貫から一国一城の主へ。そして日系人グループのまとめ役にまでになった。
ほどなくして、大平洋戦争が開戦。戦時下にあって、日系人の地位はどん底まで落されてしまう。一時は、犯罪者のように収容される状況にまでなった。日本へ帰りたくても帰れない者もいた。白人社会での厳しい立場に馴染めないものもいる。そんな中、勇は白人社会で果敢に己の意思を発言していった。

戦争によって失われてしまった、日本人としての威厳を取り戻すきっかけが、一九四九年に開催されたロサンゼルス全米選手権であった。一九四九年八月。邦字新聞の記事に「日本人水泳選手の宿の世話をしてくれる家庭を探している。三、四人ずつでも受け入れが可能な家庭を求む」という内容を見つけた和田は、敗戦国として失意のうちにあった日本の、久方ぶりの華々しい舞台のためになるのであればと、すぐさま自宅に誘致する。この時8名の日本人選手、コーチを招き入れ、身銭を切って歓待する。そのおかげで、選手たちは稀に見る好成績をおさめた。
これをきっかけに、東京でのオリンピック開催誘致のため、一九五九年三月から妻同伴で、中南米十カ国十二名のIOC委員を訪問し各国のIOC委員に東京オリンピックの実現を訴えた。そしてアジア初のオリンピック開催を実現させた。
さらに晩年は、一九六一年に日系福祉財団を設立し、地盤を作ってくれた日系一世らに対しての老後の慰労として「ジャパニーズ・リタイアメント・ホーム(日系引退者老人ホーム)」の支援に尽力した。
幼少期の苦労にも関わらず、日本を愛し、日系人の先人達を敬い、力を尽くしたのが和田勇である。

二人目は、日本では無名で海外ではベストセラーとなった「武士の娘」の著者杉本鉞子。

一八七二年、新潟県古志郡長岡(現長岡市)に生まれた。旧越後長岡藩筆頭家老であった稲垣平助の六女として生を受けた鉞子は、厳しい自然と伝統的な家風に囲まれ、文字通り武家の子女としての幼少期を送った。父平助は戊辰戦争の際、藩内において新政府軍への恭順と非戦を説いた平助は、主戦派の河井継之助と反目する。河井は家老に任命され、平助は閑職に追いやられる。「藩のためなれば」と、必死に上げた声は無念にも届かず、戊辰戦争において新政府軍の侵攻を受けた長岡城は落城した。この時平助が藩主の後を追った一方で、平助の妻は屋敷に火を放ち、子供と祖母を連れて身を隠した。

鉞子は、女子としては異例の教育を受けて育っている。若干六歳にして四書(大学、中葉、論語、孟子)を与えられ、冬の最も寒い時期に家中の扉を開け放して、そこでもって習字をする「寒稽古の習字」などがある。大人でも音を上げそうな、このような鍛錬を鉞子は幼少期からやり遂げていた。兄の央(なかば)がアメリカで詐欺にあったことがきっかけで、のちに夫となる杉本松雄との結婚を申し渡され、一四歳でアメリカに住む相手と婚約を余儀なくされる。アメリカに渡った鉞子は、西洋文化と日本の文化の違いに戸惑い、新しい環境にまごつきながらも、若く柔軟な感性を持って変化を受け入れていく。

クリスチャンになりながらも、日本で受けた教育と日本としての魂を忘れず、日米二つの文化を紐解いていく過程で、鉞子は次第にアメリカと日本の文化に、その源流に潜む共通点を見出そうとしていた。日本とアメリカを行き来しながら、日本語と日本史の公開講座の講師を務め、収入を得る為の手段として、新聞や雑誌に記事を投稿し始めたことをきっかけに、ベストセラー「武士の娘」が誕生する。「武士の娘」はアメリカやイギリスで再販され、日米の架け橋となった。
重要視する点・経験
納期を守っていただける方、柔軟に対応していただける方。
経験は特に問いません。独創的なデザインを期待します。
注意点・禁止事項
商標の転用、他のクライアントに提案したものなどはNGでお願いします。
その他のコメント
たくさんの方からの提案をお待ちしています。

クライアント情報