「人生の中でどれだけの人に喜んでもらえるか、笑顔になってもらえるか」が、すべての原動力。~クラウドワークス×推しユーザー対談2~

プロフェッショナルのフリーランスに特化したキャリアサポートサービス「クラウドテック」でデザイナーとして活躍中の倉屋さんと、フォロー担当の鍋野。異なるバックグラウンドをもつ2人ですが、共通の思いがありました。

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プロフィール

ユーザー:倉屋義典さん(写真右)
WEBデザイナー / インフォメーション・アーキテクト。2009年より本格的にキャリアをスタート、株式会社MTIや大手広告代理店などでの経験を経てフリーランスとなる。ビジュアルデザインだけでなく、サービスの趣旨、目的を理解し、伝える為の手段としてのデザインを得意とする。

クラウドワークス:鍋野仁美(写真左)
2016年新卒として、クラウドワークスに入社。当時立上げ1年半程度のクラウドテックに配属され、1年間キャリアサポーターを担当、現在はフォロー担当として、メンバーとクライアントの架け橋の役割を担っている。常に人の温かみを提供できるようなサポートを目指して、仕事をすることを心掛けている。

「自分は何ができるのかを考え直してみた時に出てきたキーワードがデザイン。これをプロとしての形にしたいと思い、30歳で一念発起しました。(倉屋)

倉屋:僕のデザイナーになったきっかけ、ルーツになったのは、新宿にある有名デパートで、オリジナルアパレルブランドのデザイナーをしていた叔父です。よくバスで行って、デザイン部で遊ばせてもらっていました。その時から「おじさんみたいな仕事ってカッコイイな」と思っていて。それから祖父が和菓子の細工師、父は美容師と、親族は何かを作ったり生み出したりする仕事をしていましたね。案の定高校生で洋服に興味を持ち始めて、卒業後は専門学校に通いました。当時学費を自分で稼ぎながら通っていたのですが、課題をしながら働くことが本当に重くて、結局1年ちょっとで中退。その後当時流行していたアンダーグラウンドでのアパレルブランドを友達と立ち上げて、デザイナーとして服を作ったり、ファッションショーをしたりしていました。そこで出会ったのがDJという仕事。ショーをするにあたり音楽を担当することになって、ターンテーブルを購入、それがきっかけで20代はそのままクラブDJになってしまって。

鍋野:(笑)。

倉屋:有名アーティストのバックDJをやっていた方に弟子入りさせてもらって、仕事ももらって、とんとん拍子に来ていたので、「これ食えるかも」と洋服をポイッと捨ててDJになっちゃうんですよ(笑)2002年に大規模なスポーツ大会の関連イベントでDJしたり、音楽情報を提供している会社と契約させてもらい、楽曲のレコメンドを書いたりして、本当にご飯食べられるようになりました。並行してPhotoShopを使ってのデザインがちょっとできたので、師匠のイベントのフライヤーもつくったりしてました。その時はクラブDJをやりつつ、ライターをやりつつ、曲を作って提供しつつ、師匠や友人のフライヤーを作りつつという日々でしたね。すごくたのしかったんですが、20代後半で「やっぱり自分が音楽でたべていくのは難しい」と痛感して。…ほかにも色々あったんですけどね(笑)、そこから2,3年は本当に「食べるための」仕事をしていました。

鍋野: え!そうだったんですね。

倉屋:そうなんです。で、30歳のときに彼女ができて、今の奥さんなんですけど、そのお母さんから「もうフラフラしてないで結婚してちゃんと仕事に就きなさい」とお叱りをもらい(笑)そこで改めて「自分は何ができるのか」を考え直してみたんです。その時に出てきたキーワードがデザインでした。でもプロじゃない。だからこれをプロとしての形にしたいと思って、一念発起。30歳で月給16万円の会社に入って、写真の補正をするレタッチャーになりました。

倉屋:今でいうとブラック企業かもしれません。でも、今までの素人目でやっていたものとは次元が違うんです。「これがプロの仕事か」とその差に驚いたことを覚えています。その後そこでレタッチャーとして2年ガリガリにやったあと、MTIで働き、そこでレタッチャーからデザイナーになり、その後フリーランスになりました。MTIにはトータルで3年ほどお世話になりましたが、本当にたくさんの濃い経験をさせてもらいましたね。

鍋野: いつも面談でお会いする時、こんな話聞いてなかったから、そうやったんやと。さすがにこんなにゆっくり話…。

倉屋: そうですね。ここまで深くは話したことなかったですね。

鍋野:それこそMTI後ぐらいしか聞いていなかったんで。

倉屋: ルーツとかね。

鍋野:そんな背景やったんや、みたいな(笑)。私はご存知の通り、関西出身なんですけど。

倉屋:はい(笑)。

鍋野:兵庫でずっと生まれ育っていて、小3ぐらいのときに、父の仕事の関係でアメリカに引っ越しすることになったんですよ。私当時小3だったのでまだアメリカのことも言葉が通じないこともよくわからず「行く行く」とノリみたいな感じで行ったんですけど。普通の公立の小学校に入ったのでことばが通じなくて最初はものすごく苦労しました。でも5年経ってものすごく英語のスキルも上がって友達もたくさんできて楽しい中学時代を過ごせました。帰国後は戻ってきた後は神戸の高校、関西の大学と進んでいたのですが、私も色々あって、当時自分の殻にとじこもっていて。1年目全然大学に行ってなかったんです(笑)それが母親にばれ、ものすごく怒られまして。2年目からちゃんと行くようになったんですが、そこでようやく心許せる仲間に会えて。「私なんでこんなに心閉ざしてたんだろうと」反省して…。

倉屋:そして今の鍋野さんが誕生したと(笑)

鍋野:はい、今の鍋野が誕生して、残りはすごい楽しくやっていたんですけど(笑)。でも勉強をアメリカにいた時や、大学受験していた時ほど頑張っていなくて。とは言え、お金出してもらって通わせてもらっているんだから何か残さなきゃあかんやろ、とずっと思っていました。そこで4年生の時に出会ったのが、旅のよさを伝える事業をしている東京の会社が毎年開催している大きな旅行系イベントで。大阪開催かつスタッフを全員学生で、という募集があったんです。そこに応募して。さらに半年間くらい掛けて準備するんですけど「どうせやるなら責任あるポジションを」集客と舞台のメイン担当に名乗りを挙げました。

倉屋:すごい。

鍋野:本当に寝る間もないほど忙しくなって。でも学生生活の中のたった半年だけでしかないのに、その経験が一番記憶に残っていて。自分の好きな人たちと何かをつくる…。特に旅に興味はなかったんですけど(笑)、自分の好きな人たちと何かをやって、すごく面白いことなんだなって、その時実感したんです。だから就職活動はは絶対に「人で選ぶ」と決めていました。そんな時にクラウドワークスに出会って。笠森さんっていう先輩ビジネスウーマンなんですけど、「この人と一緒に働きたい!」と思って。かつ会社の理念にすごく共感がして。私思い込んだら激しいので「これは運命やん」みたいな感じで、クラウドワークス1本に絞って今に至っています(笑)

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人生を通してどれだけの人に笑顔になってもらえるか、自分を必要としてもらえるかが、原動力になっている。(鍋野)

倉屋:今回のテーマの「働く」について、これから自分がどんな風に働きていきたいかお話しすると、デザイナーって流れ作業があまりできない仕事だと思うんです。今後は僕のつくるものだったり、僕のテイストだったり、を「いいよね」と言ってくれるファンと、認めてくれる方々を増やしながら、仕事を広げていくっていうのがビジネス的なビジョンなのかなと考えています。ただ、逆に言うとその流れ作業ができないっていうところがネックになってきて。「ワンオフでつくる」って僕いつも言うんですけど、デザイナーがつくるものは全てワンオフだと思っているんです。ですから、同じようなものをつくろうとしてもやっぱりみんな違う。その人のため、その会社のため、そのサービスのためにオーダーメイドでつくるもの。付きっきりにならないといけないものだと、僕は思っています。

でも、自分一人だと限界がある。だから今後のビジョンとしては自分自身、自分の仕事のファンをつくりつつ、「あなたに任せたい」と言われる回数を増やしながら、昔の僕みたいな人たちと一緒に仕事をして、その人達を成長させていきたい。僕のつくるものを信頼してくれている誰かと、アウトプットできる人を繋いでいけば、もっともっと仕事が広がっていくんじゃないかなっていうビジョンは持っています。あと、エモーショナルな部分で考えているのは、自分のファンを作るために、デザインだけじゃなく人間力も仕事の姿勢も価値を上げていくというのがすごく大切なのかなと思っていて。「じゃあその価値を測るものってなんだろう?」と思ったときに、最近出た答えが、僕を必要としてくれる需要の数、その人たちを喜ばせられる、「ありがとう」じゃないのかって。今のクライアントの社長さんに「ありがとうね」って言われたりとか、その人が喜んでくれたりすることが本当に嬉しくて。僕が自分の価値を決めるわけでもなく、僕が自分で「俺はこんなに実績があって、こんなにすごいんだよ」ということに何の意味もなくて。喜んでくれる人たちがどんどん増えていく、その数でしかないのかなと。それを一個一個積み上げていくことで自分の価値は少しずつ高まっていくものなのかなって。

鍋野:今ちょっとビックリしたんですけど、私あるベテラン芸人さんの講演を聞きに行ったことがあるんですよ。その時感動というか、「それはそうやな」とものすごく共感したのが、自分の人生の価値、最終ゴールは「どれだけの人の縁をつなげるかだ」とおっしゃっていて。自分が死んだときに何人がお葬式に来てくれるか、極論そこでしかない、だから一人一人接する人を大事にしないといけないし、その縁を増やしていかないといけないみたいな話をされていたんです。私感銘を受けやすいんで、「ほんまにそうやな」と思ったんですけど。今のお話とほぼ一緒ですよね。自分の人生を通してどれだけの人に笑顔になってもらえるか、自分自身を必要としてもらえるかっていうのは、仕事もそうやし普通のプライベートの付き合いでもそうやし、結構それが全てで、原動力になっていることはあると思いますね。

倉屋:そうですね。求めてくれる事で、それに応えようって思って。僕ができることで、それがお仕事になるのであれば、本当にありがたいことだなと思っていますね。

鍋野    めっちゃ仏みたいな顔して良いこと言いますね(笑)

倉屋:いえいえ。

鍋野:いい話や。

倉屋:鍋野さんは、お仕事をしていくうえで今後どんな風になりたいですか?

鍋野:私はこれから手法を見つけたいなっていうふうに思っていて。私、ここに入るときは話すことしか自分の長所が見当たらなかったので、「それが活かせるところに適当に配属してください」みたいな感じで入って来たんですけど(笑)クラウドテックに来て、倉屋さんをはじめWebデザインやエンジニアの方に数多くお会いしてお話ししていると、皆さん、自分はそれで生きていくっていう手法が確立しているというか、それこそ倉屋さんであれば人に幸せを届けるための手法はデザインみたいな芯が1本あるじゃないですか。それが自分に欠けているなというのを最近すごく感じていて。

倉屋:そうですかね?(笑)。でも自分の中でそう思うってことですよね。

鍋野:はい、自分の中で思っていて。経験値が浅いっていうのもあるんですけど、いろいろともっと幅広く経験をして、「これで食べていく」「これで人とつながっていく」みたいなものができたらいいなと思っています。それを20代のうちに見つけることが目標ですね。

倉屋:今のお話を聞いていて、「え、そうかな」というのが僕の印象です。最近思うんですけど、今の社会って特に人を感じないんですよね。仕事もそうだし、公共の場もそう。時間がないから、どんどんオートメーション化、コンピュータ化しているか、流れ作業になってきていて。でも鍋野さんにはめちゃめちゃ人を感じるんです。

鍋野:(笑)。

倉屋:だからそれは既に鍋野さんが持っている武器なのかなって。信頼って結局人についていくじゃないですか。お店に人がつくとか、会社に人がつくとか、ブランドに人がつくってことはもちろんあると思うんですけど、人に人がつくと本当に強くて。その人のファンになるから「この人がいるから、ここで頑張ろう」とかなっていくと思うんです。だから、もうすでに、僕は鍋野さんは持っていると思っていて。

鍋野:照れます(笑)

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「働く」事で得られたものは、自分の人生そのものなんじゃないかって思うんです。(倉屋)

鍋野:最後になりましたが、倉屋さんにとって改めて「働く」って何でしょうか。

倉屋:いろいろありますね。さっき話していた人の笑顔だったり、人の満足だったりというのは、自分に対しての、お金以外の対価だと思うんです。原動力みたいな。「働く」の中の一部分ですね。僕は39歳なんですが、過去を振り返れば、モノ創りをしていた叔父や家族に影響を受けて、いろいろあったけどデザイナーになる事ができました。そして僕がモノを創る事、僕が「働く」事で誰かを幸せにしたり笑顔にさせたりできるようにもなりました。つまりこの「働く」事で得られたものは、自分のルーツを辿れば、自分の人生そのものなんじゃないかって思うんです。倉屋義典という人間が生きていくための道、まだこの先がどうなるかわからない道だけど、それがすごい昔から、自分が生まれる前から実は続いていて、それを砂を払いながら、道を削り出していく…そういう作業が仕事なのかなって思っています。

鍋野:今はまだ働く時間が定まっている会社が大半で、その枠に自分を当てはめる必要があるケースがほとんどだと思うんですけど、クラウドワークスのサービスや、フリーランスという働き方が広まっていくと、働く時間の枠に自分を当てはめるんもっと意味があることに自分の人生を割ける人が増えるかもしれないと思っています。あとは、私の母親がおばあちゃんになって年金とかがもらえないってなったときに、クラウドワークスのサービスで働けたらうちの母親にも収入が生まれたりとかする可能性があるじゃないですか。そう考えるとクラウドワークスって無限の可能性を秘めているサービスやなって結構真剣に思って。だから自分の働く時間とパワーを掛けるならクラウドワークスで、と思ったんです。ちなみにクラウドテックはっていうサービス全然知らなくて、フリーランスっていう働き方もよく分かっていなくて、配属されたとき「あれ?」って思ったんですけど(笑)。でも、11でお話をして、その人を知って好きになってひたすら頑張るみたいな自分の特性を最大限に発揮ができるポジションなのかなとは思っていて、そういう意味合いではうまいこと会社に使われているんやろなって(笑)。「働くとは」は自分の中でまだ嚙み切れていないので、正直今の段階では模索中ではあります。でも母親の話なんですが、アメリカから戻ってくるまでは主婦をしていたんですが、日本に戻ってきたあと、自宅で開く塾の先生になって、さらにその仕事が面白かったらしく、「保育園の先生になる」と勉強して試験に受かって、今は保育園の先生をやっているんです。そういうのを見てていると母親のようにそのときに「これ」って思ったことに対して何歳になっても真っ直ぐに向かっていけるのは、とても素敵なことだと思うので、そのとき私が「これをやってみたい」「ここにいたほうがいい」と思うところに対して全力で頑張れる人間ではいたいなと思います。