“Planet Alpha”こと、森隆臣さんは45年間、一貫してデザインの仕事に取り組んできた大ベテラン。
フリーランスになる前は複数の会社に所属し、たくさんの商業パッケージやキャラクター商品などを世に送り出してきたそうです。
65歳になった今でも積極的にコンペへチャレンジしていて、デザインしている時間が本当に幸せだと笑います。
デザイン一筋、森さんの飽くなき探究心に迫ってみました。
何が何でもデザイン
―今、どのようなお仕事をされているのか、教えていただけますか?
クラウドソーシングのコンペを通じて、ロゴや名刺といった商業デザインの仕事を受注しています。
ほかにも、マンションの管理人と、デザインの専門学校講師も複業としてやっています。
―三足の草鞋(わらじ)ですね。デザインのお仕事はキャリアが長いようですね。
いま65歳で、20歳で専門学校を卒業してからずっと、ですから、45年間デザインの仕事を続けていることになりますね。
―45年間!
デザインは、僕の人生そのものですよ。クラウドソーシングがあるから、こんな年齢でも仕事を受注できて本当にありがたいです。
マンションの管理人やデザイン講師の仕事も楽しくて、やりがいがある仕事なんですが、やっぱり何が何でもデザインの仕事が僕のベースなんです。
―60歳を超えても取り組める仕事があるって、うらやましい。
クラウドソーシングで仕事をやっていなかったら、毎日、テレビを見て暮らしていたかもしれないけれど、僕は毎朝、6時半ぐらいに起きたら、7時半にはもうパソコンに向かって仕事を始めます。
それからは、途中、ご飯を食べたり散歩に行ったりもしますが、基本、ずっとデザイン。
寝ても覚めても、頭の中はデザインのことばかり。いい脳トレになっていますよ。
―本当にお好きなんですね。
すっごい楽しいです。デザインは、自分の天分だと思っています。
デザインを通じて湧き上がってくる感動と喜びは何物にも代えがたい。だから専門学校で学生にも言うんですよ。
君たちが将来、デザイナーになって、自分が手がけた作品が世に出るときがきたら、恐ろしいぐらいの大きな感動があるよ、って。
その感覚を味わうから、また次のステップ、となっていくんですよね。
―自分の作品が世に出る楽しみ、ということですか?
それそれ、それですよ。街を歩いていたら自分の作ったロゴを目にしたり、デザインしたキャラクターの文房具を持っている高校生がいたりね。
複数の会社でキャリアの幅を広げてきた
―フリーになるまでは、会社にお勤めをされていたこともあるとお聞きしました。どのようなキャリアを積まれてきたのですか?
専門学校を出た後、まず勤めたのが渋谷の道玄坂にある小さなデザイン事務所でした。
そこは大手印刷会社のデザイン部から発注を受け、大手企業のキャンペーンで使う販促物や、企業カレンダーなどを取り扱っていました。
22、23歳ぐらいのころだったかな。
ある文具メーカーが新しいブランドでノートを作るというので、僕が表紙のデザインをしたらバカ売れして。
大手企業のショッピングバッグや包装紙に、一番“ペーペー社員”の僕のイラストが採用されたことも。
そんな成功体験が最初にあったから、デザインの世界でずっとやっていこう、と思ったんでしょうね。
―でもそのデザイン事務所はその後、お辞めになったんですよね。
はい。6年ぐらい勤めている間に、その会社でできる仕事は全部、自分のスキルとして取り込んだ感じがしました。
もっとステップアップをするには、その会社では扱っていなかった広告のデザインとか、代理店とのお付き合いとか、今までやったことのない仕事をして、人脈も広げていく必要があるなと感じたんです。
そんなとき、ある会社がキャンペーンで使う販促物のイラストを描いてくれないか、頼まれて。
最初はアルバイトとして引き受けたのですが、その仕事が評判だったので社員として入社することになりました。
その会社では、代理店と一緒に仕事ができたので、いろいろ世界が広がりましたね。
―一つの会社にこだわらず、スキルを伸ばされてきたんですね。
その後も、縁あってファンシーキャラクターグッズで有名な会社に誘われて、キャラクター制作の仕事を学びました。
ここでは人気がなくなったキャラクターの商品をリニューアルするような仕事もしましたね。
でもまた今度は知人がキャラクター・マーチャンダイジングの会社を立ち上げる、というので一緒についていって。
結果的にその会社は大成功で、ファンシーグッズと言われるような文房具、ハンカチ、タオルなど、ありとあらゆるものにキャラクターを付けて商品化していきました。
オリジナルのキャラクターで製品を作ることもあって、びっくりするぐらい売れたんですよ。
―じゃあ、私が持っていた文房具の中に、森さんが手がけた商品があったかもしれないですね。
あるかもしれないですね(笑)
ピンチを救ってくれたクラウドソーシング
―それで、その後、独立を?
はい。社長が方針転換して、その事業を辞めるというので、じゃあそれも人生の変わり目としていいかな、と思って独立を決めました。
独立するとき、お付き合いのあったおもちゃメーカーにあいさつへ行ったら、すぐに仕事をもらえたんです。
それが、おもちゃのパッケージや、商品カタログを作る仕事で、20年ぐらいずっとやって200点ぐらいは世に出したと思いますよ。
―ずっと、ご活躍されてきたんですね。では、どのようなタイミングでクラウドソーシングのお仕事を受注するようになったんでしょう。
60歳近くになってきて、だんだんおもちゃメーカーの仕事が少なくなってきたんですよね。
それで昔、大手企業の仕事をさせてくれていた代理店の担当者に、改めてコンタクトを取ってみたんですが、みんな辞めていていないわけです。
それまで20年ほど、おもちゃメーカーの仕事だけをやってきたのは大きな間違いだった、とそのとき初めて気づきました。
そのあとも、自分の作品集を持って営業にまわったんですが、なかなかデザインの仕事が決まらなくて…。
デザインの専門学校の講師に加え、59歳からマンションの管理人の仕事も始めたので、日中は主にそういった仕事をしながら、知人が紹介してくれた雑誌の表紙デザインの仕事なんかを夜にやるような生活でした。
そんなとき、一緒に管理人をしていた人から、クラウドソーシングで働く人を取り上げたテレビ番組を見た、と教えてもらいました。
それで調べてみたら、仕事を自分で選べて、デザインならコンペで採用されれば収入になる、と。そういうのがあるんだ、と思ってやり始めたのがきっかけです。
―クラウドソーシングを始めたばかりのころって、どういう感じでしたか?
最初は簡単だって思ったんですよ。
でも、最初の3カ月は、コンペに応募しまくっても、一つだって作品が採用されなかったんです。
ロゴタイプやチラシにのぼり、パッケージデザインなど、相当な数は応募したんですが。
それで「ああ、甘くないんだ」と思って気持ちを入れ替えました。
こんなことをやっていたら、ただ自分の時間を使うだけ。
じゃあどうしたらいいんだろう、とよく考えた結果、応募のときに自分がどういう考えでこのデザインにしたのか、クライアントさんにちゃんと伝えて、相手の心をひとつかみすることが必要じゃないだろうか、と。
あと、見た感じ、印象に残るようなインパクトを持たせることにも工夫するようになりました。そうしたら、すぐに初めての採用が決まったんです。
以来ずっと、僕は応募のときにデザインした理由を添えているのですが、ほかの人を見ていると、書いている人も、いない人もいますね。
書いていなくても採用されている人がいるので、一概に書いたほうがいいとは言えませんが、僕は自分の誠意を見せるために、これからも書いていくつもりです。
―クラウドソーシングのコンペならでは、みたいな、仕事の進め方とかありますよね。
日々、試行錯誤です。
例えば、応募を続けているうちに、デザインにバリエーションを持たせて、いくつも同じようなデザインを出すのはあまり意味がないなと思いました。
似たようなデザインだと、クライアントさんは迷うばかりで、結局、僕の提案は全部不採用になってしまうんです。
それなら全く違うデザインで応募すれば、1つ1つが独立して見えて、採用されるチャンスが増える気がしました。
あと、発注者は企業や自営業の人、個人などさまざまなので、ちゃんと見極めないといけないですね。
作品を採用してほしいから、相手のむちゃな修正要求をのんでしまいがちなんですけれど、それじゃだめ。
残念ですが、何十回もデザインを修正させ、結局採用しないような発注者もいます。
そういう、うまく付け入ってくる発注者もいるので要注意だな、というのはやっていくうちによくわかりました。
昔はね、ロゴなんて一つ何十万円の世界だったんですよ。
でも中には、数千円でロゴの仕事を発注している人もいます。
そういう発注者の意識の低さもありますし、一方で、大きな金額のコンペにどう見たってめちゃくちゃなデザインで応募している人もいます。
そういうのを見ていると、デザインの仕事をバカにしているのかって、怒りたくなりますよ。
生涯ずっとデザインできることを伝えたい
―そういうお話を聞いていると、お仕事をするのが嫌にならないのか、って思うのですが。
ならないですね。そういうのがあってもつぶれない、って自分で自分を信用しているんです。 昔から継続は力なり、って言うでしょう?
1つ1つ案件に挑戦して、壁にぶち当たったら、それを乗り越えるためのアイデアを出したり、表現の仕方を変えたり。
そういう生き方が染みついているから、何があってもくじけないんですよ。 確かにデザインの仕事は波が大きくて、仕事が全く決まらないときもあります。
逆に、次々と決まっちゃうこともあって、それで気持ちが大きくなっちゃうと、また採用されなくなって。
だからいつも心に戒めを持って、コンスタントにずっと採用され続けるよう、気を引き締めているところです。
―森さんの場合、キャリアも実績もあるわけですから、講師業に専念する道もあったのではないかと思いますが…
ない、ない(笑) 講師はあくまで教える立場ですから、生業という訳にはいきません。
人にものを教える喜びはありますよ。教えた方の成長を見るのは嬉しいものです。
でも、やっぱりデザインですね。
―本当に生涯現役なんですね。
ええ、パソコンの前でデザインをしながら死んでいるんじゃないか、と思うぐらい(笑)
それは冗談にしろ、僕みたいにこんなに年をとっても、デザインってできるんだよって、学生には伝えたいんです。
結婚して子育てをしながらでも、家族の介護をしながらでも活躍できる場はある。だからこそ、前向きな気持ちでデザインをしっかり勉強しなさいって、いつも話しているんですよ。
―やりたいことがずっとあるって、本当に幸せなことですね。
はい。そのためにも健康には気を付けて、ずっと好きなことができる体でいなければ、って思っています。
―最後に、これからの目標や夢があれば教えてください。
実はネーチャーカメラマンとして、自然の写真も撮っていて、結構、賞もいただいているんです。
なので、これからは自分の写真と、デザインしたロゴを組み合わせた作品を提供したいなと考えています。
今より、もう1ステップ、2ステップ上がった仕事をしたい、という気持ちは昔も今も変わりません。これからも自分の仕事をどんどん広げていきたいです。
取材・文:吉岡名保恵
東京デザイナー学院卒業後、複数の会社で広告、POP、パッケージデザイン、イベントプロモーション、キャラクタービジネスなど、さまざまな仕事を経験。大手広告、印刷会社、その他さまざまなメーカーとの仕事実績多数。一方で、日本デザイナー学院での講師を20年以上継続しており、「文字表現」の講義を担当している。クラウドソーシングでは、主にロゴデザインの仕事を受注。自然風景の写真撮影が趣味。