​「自分は何かを成し遂げている」という誤解

2014.04.16

(本記事は、他サービスで記事投稿後、サービス終了に伴って保存のために転載したものになります。)
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最近、社内でよく「サンクコストに縛られるな」という話をしています。

 

サンクコストとは、日本語では埋没費用と呼ばれ

「事業に投下した資金のうち、事業の撤退・縮小を行ったとしても回収できない費用」

と説明されています。(​wikipediaより)

 

一回目の起業の時に(クラウドワークスは二回目の起業になります。)、

数千万円の投資を行って全く黒字になる見込が見えない事業があり、

まさにサンクコストに縛られ、再投資も躊躇われるが撤退もしたくない、という経験があります。

 

最終的には、​書籍「世界の働き方を変えよう」にも書きましたが

役員が取引先を持って離反という事件により、撤退を余儀なくされました。

サンクコストに縛られると正常な判断ができなくなる、というのは一般的に知られていることです。

このサンクコストは日々の仕事において、精神的な面としても存在していると思っています。

 

事業を数年やってると、それぞれの部署の責任者に「自分がやってきた感」が漂ってきます。

また、転職者においても「私はこの分野でやってきた感」が当然あります。

そして私自身も常に「何かを成し遂げてきた感」が無いか?と自問自答しています。

 

結論から言うと、これらの「何かを成し遂げてきた感」はあらゆる業務において

排除しないといけないと考えています。心のサンクコストは撤廃しないといけない。

 

例えば、

・転職者が新卒に向かって素人扱いをする、という光景

・新しい事案や他部署のヘルプに対して、
自分や自分の部門の多忙を理由に非協力的になる態度

 

あるいは、

・電話に積極的に出ない態度

・挨拶を積極的にしない態度

 

これらは「自分には何も無い」と思っている時には、絶対に起きない事象です。

何も無いと思っていればあらゆることに必死になるはずです。

 

この事態は、当人が「自分は何かをやってきた(時間を投資してきた)感」があって、

かつ、当人が求めている評価を周りから受けていないと感じている時に起こっています。

(自分が認められていれば、他人に対しても寛容になると思います。)

 

まさに心のサンクコストであり、かけてきた時間の量に縛られてそれがプライドとなり、

今の目の前の事態にフラットに対応できていない。

 

心のサンクコスト=「何かを成し遂げてきた感」、はあらゆる時において

撤廃しないといけないと私自身常に考えています。

 

最近、私は自分の机のゴミ箱をなるべく、自分で処理するようにしています。

自分の「何かを成し遂げてきた感」を撤廃する意味でなるべくフラットでいたいと思って心がけています。